10. 宮廷で活躍していたアイリッシュ・ハープ奏者

宮廷で活躍していたアイリッシュ・ハープ奏者

16世紀末から17世紀にかけて、英国や大陸の宮廷でアイリッシュ・ハープ奏者たちが活躍していた。

中でももっとも有名だったのが、エリザベス1世とジェームズ1世の宮廷に仕えたコーマック・マクダーモット[1]である。彼は1602年にエリザベス1世の宮廷音楽家に任命された。マクダーモットとは、アイルランド中部ロスコモン州にゆかりのある姓であり、おそらく彼も元々はこの一族の出自だったのであろう。

コーマックの前任者は盲目のウィリアム・モア[2]であり、当時「イングランドで最も有名なハープ奏者」と称賛されていた。モアはエドワード6世、メアリー1世、エリザベス1世のハープ奏者として仕えた。彼はローマカトリックの信仰をもっていたという。モアの没後、コーマックが就任するまで、英国の宮廷ハープ奏者のポストは長年空白だった。コーマックはモアとは異なりプロテスタントだった。

コーマックは演奏家としてのみならず、ハープ教師としての側面も持っていた。たとえば、彼は1590年からウェールズ系の貴族で宰相となったロバート・セシル[3] のハープ奏者でもあり、彼にアイリッシュ・ハープを教えていた。マクダーモットは宮廷音楽家フィリップ・スクワイア[4] にもアイリッシュ・ハープを教えており、スクワイアは他の宮廷音楽家ルイス・エヴァンス[5]にハープを教えていた。このようにして、英国宮廷にアイリッシュ・ハープを広める活動を行っていた。

ちょうど同じ時期に英国宮廷にいた哲学者フランシス・ベーコン[6]は、没後出版された『シルヴァ・シルヴァルム』[7](1627)の中で、アイリッシュ・ハープの音色について次のように称賛している。

 

「アイリッシュ・ハープほど感傷的で長い響きを持った楽器はない」

 

おそらくベーコンはマクダーモットの演奏を聴いてこのような感想を残したものと思われる。

マクダーモットの作とされる楽曲は4点のみ現存している。

 

1. ≪コーマック氏によるジョン・ペイトン卿のパヴァン≫

2. ≪コーマック氏によるアルマン≫

3. ≪ショッホ・ア・トルム≫

4. ≪コーマック≫[8]

 

これらは、いずれもコンソート音楽(合奏)で演奏されていた宮廷舞曲の形式だった。3番目の≪ショッホ・ア・トルム≫というタイトルは、元々アイルランド語のタイトルがついていたもので、その音を音声表記しようとしたものと考えられている。元来の意味は定かではない。これらの作品には臨時記号が用いられており、コーマックが演奏していたのはクロマティック・アイリッシュ・ハープだったと考えられる。

マクダーモット以外にも、ダニエル・ダフ・オカヒル[9] というアイリッシュ・ハープ奏者が英国宮廷で活躍していた。彼は、「王妃のハープ奏者」と呼ばれており、ジェームズ1世王妃アン・オブ・デンマーク[10]や、チャールズ1世王妃ヘンリエッタ・マリア[11]に仕えていた。名前に「ダフ Duff」や「ダル Dall」と書かれているのは、その人物が盲目であったことを意味している。

この頃、アイリッシュ・ハープ奏者は英国宮廷のみならず、デンマークのクリスティアン4世の宮廷にも雇われていた。1601年から2年にかけてチャールズ・オライリー[12]が仕えていた。1598年から1606年にかけて英国のリュート奏者ジョン・ダウランド[13]がこの宮廷にいたので、彼らは互いに面識を持っていたかもしれない。

その後1621年から34年にかけて別のアイリッシュ・ハープ奏者ダービー・スコット[14]が雇われていた。 スコットはラインハルト・ティム[15] の絵画作品≪デンマーク王クリスティアン4世の宮廷礼拝堂付き音楽家たち≫ (1622) に描かれている。その中でスコットはヴィオラ・ダ・ガンバ、リュート、フラウト・トラヴェルソとともにアイリッシュ・ハープを演奏している。彼は床に置くタイプの大きな楽器を左肩にハープを置くケルト地域特有の演奏姿勢で奏でている。これは初期バロック時代に、アイリッシュ・ハープがコンソート音楽で通奏低音を演奏していたことがわかる資料である。

スコットは4人兄弟全員がハープ奏者として活躍していたことが知られている。ネッド・スコット[16]はアーサー・チチェスター卿[17] のハープ奏者だった。彼は1605年から1616年までアイルランド総督を務めた人物で、引退後はアイルランド北部のカリクファーガスの館に居を構えていた。1621年にチチェスター卿からネッド・スコットへの支払いの記録が確認できるので、スコットは引退後に雇われていたのかもしれない。

この他の兄弟にジョン・スコット[18]という人物がいて、彼の作品≪スコットのラフモー男爵へのラメント≫というハープ音楽が残されている。この曲は、ティぺラリー州の貴族トマス・パーセル[19]のために書かれた。死期を悟ったパーセルは1597年に遺書を残しており、その後1599年にラメントが書かれた。実際にパーセルが亡くなるのはその10年後だった。

もうひとりの兄弟ハリー・スコット[20]もラメントの作者として名を残している。彼は≪ディヴニシュのラメント≫[21]という曲を書いた。これは1603年に死亡したガルトリム男爵ハッシー[22]のために書かれたという。この人物については特定されていない。ディヴニシュというのは、アイルランド北部ファーマナ州のアーン湖に浮かぶ「雄牛の島」という島の名前である。なぜ、このタイトルがつけられていたのかは不明である。

いずれにせよ、スコット兄弟の≪スコットのラフモー男爵へのラメント≫と≪ディヴニシュのラメント≫は18世紀以降のハープ奏者によって継承されていた。

少し話が脱線してしまったが、デンマークのクリスティアン4世の宮廷にはエドワード・アダム[23]というハープ奏者が1641年から43にかけて仕えていた。彼はアイルランド人ではなく、スコットランド人だった。そして、デンマークの宮廷に来る前は、ブランデンブルクの宮廷にいたという。


[1] コーマック・マクダーモット  Cormack MacDermott (d. 1618)

[2] ウィリアム・モア William More (c.1490-1565)

[3] ロバート・セシル Robert Cecil (1563-1612)

[4] フィリップ・スクワイア Philip Squire (fl. 1618 – c.1630)

[5] ルイス・エヴァンス  Lewis Evans (pre-1618 – 1666)

[6] フランシス・ベーコン Francis Bacon (1561-1626)

[7] 『シルヴァ・シルヴァルム Sylva Sylvarum』

[8] 1. ≪コーマック氏によるジョン・ペイトン卿のパヴァン Sr. John Paiton’s Pavan by Mr. Cormacke≫

2. ≪コーマック氏によるアルマン Almaine by Mr. Cormack≫

3. ≪ショッホ・ア・トルム Schoch. a. torum Cormacke≫

4. ≪コーマック Cormacke≫

[9] ダニエル・ダフ・オカヒル Daniel Duff O’Cahill (c.1580-c.1660)

[10] アン・オブ・デンマークAnne of Denmark (1574-1619)

[11] ヘンリエッタ・マリアHenrietta Maria (1609-1669)

[12] チャールズ・オライリー Charles O’Reilly

[13] ジョン・ダウランド John Dowland (1563-1626)

[14] ダービー・スコット Darby Scott

[15] ラインハルト・ティム Reinhold Thim (d.1639)

[16] ネッド・スコット Ned Scott (fl.c.1621)

[17] アーサー・チチェスター卿 Sir Arthur Chichester (1563-1625)

[18] ジョン・スコット John Scott

[19] トマス・パーセル Thomas Purcell (1538-1609)

[20] ハリー・スコット Harry Scott

[21] ≪ディヴニシュのラメント Cumha an Devenish≫

[22] ガルトリム男爵ハッシー Hussey , Baron of Galtrim

[23] エドワード・アダム Edward Adam

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