14. 17世紀後半のアイリッシュ・ハープ

14. 17世紀後半のアイリッシュ・ハープ

さて、16世紀末から17世紀前半にかけてクロマティック・アイリッシュ・ハープが英国やヨーロッパ大陸で流行していたが、その後、この楽器は姿を消してしまったようである。

たとえば、1672年に製作された「キルデア・ハープ Kildare Harp」は、2列弦ではなく1列弦の楽器だった。このハープは第16代キルデア伯ジョージ・フィッツジェラルド[1]の次男ロバート[2]のために作られた。この楽器は19世紀の考古学者、画家ジョージ・ピートリ[3]がある女性から入手した。彼はこの楽器を1849年に元の所有者の末裔である第4代レンスター公チャールズ・フィッツジェラルド[4]に寄贈した。その後、一族によってキルデアの「キルケイ城 Kilkea castle」に保存されていた。現在アイルランド国立博物館に保存されている。

大変美しい彫刻が施されており、共鳴胴の穴にはローゼットが彫られている。支柱にはフィッツジェラルド家の紋章が描かれている。楽器の高さは約143センチで、共鳴胴は柳の木をくりぬいて作られている。共鳴胴には39の弦を通すための穴が開けられているが、ネックには36本のピンしか存在しない。弦長は最長で約101センチ、最短で5センチである。(音域?)

キルデア・ハープと同時代の「フォガーティ・ハープ Ffogerty Harp」と呼ばれるハープが現存している。これは、ジェントルマン・ハープ奏者コーネリアス・オフォガーティ[5] が演奏していたとされる。彼はアイルランド南部ティペラリー州サーレス[6]にあるフォガーティ城の城主だった。この城は1922年のアイルランド内戦で焼き討ちにされたが、ハープはかろうじて燃やされなかった。現在はティペラリーの図書館に保存されている。

このハープはキルデア・ハープとは対照的で、かなりがっしりした外見である。共鳴胴の幅が広く、支柱は大きく湾曲している。共鳴胴は1本の木をくりぬいて作られているが、裏には大きな穴が2つ空けられている。楽器の高さは112センチ、弦の数は36本である。弦長は最長で92センチ、最短で6.5センチである。

1650年から1680年頃に作られたとされる「サー・ハープ Sirr Harp」という大型のアイリッシュ・ハープが現存している。この楽器は、元々オニール家が所有していたとされるが、後にサー長官[7]が入手した。彼は革命家ロバート・エメット[8]を逮捕した人物として知られる。19世紀半ばにロイヤル・アイリッシュ・アカデミーがサー長官のコレクションを購入し、1841年、作家オスカー・ワイルドの父ウィリアム[9]がカタログを書いている。

支柱の湾曲は小さく、ほぼまっすぐである。ネックの先端はオオタカの形をしており、反対側にはウサギが彫刻されている。共鳴胴の背面には4つの穴が空けられている。楽器の大きさは高さが158センチである。弦の数は36本、弦長は最長約110センチ、最短約7.5センチである。

「オトウェイ・ハープ Otway harp」という楽器が、現在トリニティカレッジ大学図書館に所蔵されている。この楽器の製作年代については諸説あり、17世紀前半とするものから18世紀初頭とするものもある。

この楽器は18世紀アイルランドの盲目のハープ奏者パトリック・クインが演奏していた楽器として知られている。

この楽器を18世紀の作とする根拠として、支柱の裏側に “CORMAC KELLY 1707” と書かれていることが挙げられる。コーマック・ケリーは18世紀初頭に活躍していたハープ製作者で、ダウンヒル・ハープの作者としても知られる。

バンティング、ペトリ、クイン

この楽器の形態は、14世紀のトリニティ・カレッジ・ハープをそのまま一回り大きくしたような形態をしている。専門家の間では「大型の低い支柱のハープ Large low-headed harp」に分類されている。

フォガーティ・ハープやサー・ハープは、共鳴胴の背面にも穴が開けられており、ここから弦を交換することができる構造になっている。フォガーティ・ハープと異なり、サー・ハープの支柱は高くほとんど湾曲していない。このような支柱の高いハープは、アイルランド語で “Cinnard-Cruit” と呼ばれていた[10]


[1]第16代キルデア伯ジョージ・フィッツジェラルドGeorge FitzGerald 16th Earl of Kildare (1612-1660)

[2] Robert FitzGerald (b. 1648)

[3] ジョージ・ピートリ George Petrie (1790-1866)

[4]第4代レンスター公チャールズ・フィッツジェラルド Charles William FitzGerald, 4th Duke of Leinster, (1819-1887)

[5] コーネリアス・オフォガーティCornelius O’Ffogerty (1661-1730)

[6] County Tipperary, Thurles

[7] サー長官 Major Henry Charles Sirr (1764-1841)

[8] ロバート・エメットRobert Emmet (1778-1803)

[9] ウィリアム・ワイルド Sir William Wilde (1815-1876)

[10] [Bunting, 1840 / R2002 ] 20

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中