11世紀
今から約千年前の11世紀頃、アイリッシュ・ハープの原型とされる図像資料が初めて登場する。現在ダブリンの国立博物館に保存されている「聖マドックの飾り板」にそれは確認できる。古代アイルランドの聖マドック (c.550-632) の聖遺物を収めた小さな家の形をした木製の箱があり、そこに銀製の飾り板が取り付けられている。箱自体はかなり古いものとされるが、板自体は11世紀頃のものと考えられている。
ここには、それ以前に描かれていた長方形の弦楽器(ティンパン)とは異なり、明らかに三角形の形をしたハープが描かれている。ハープの上には鳥が乗っている。ピクト族のハープのように床に置くタイプの楽器ではなく、膝の上に乗せる小型の楽器で、ピンの数は約10本確認できる。湾曲した支柱と、支柱とネックの継ぎ目がT字型になっている点が、その後登場するアイリッシュ・ハープと同じ特徴を備えている。聖マドックのハープが金属弦だったのかどうかについては明らかではない。しかし、これ以前のティンパンに既に金属弦が張られていたことから類推すると、金属弦ハープだった可能性も十分に考えられる。少なくとも、この時金属製の弦を製造する技術があったことは間違いない。
この頃、アイリッシュ・ハープはウェールズにも広まっていた。1075年、グリフィズ・アプ・カナン[1] が亡命先のダブリンから故地であるウェールズのアングルシー島に侵攻した。この時グリフィズはケラン Cellan を筆頭とする数多くのアイルランド人ハープ奏者を同行させ、ウェールズのハープ音楽の改革を行ったという。アイルランド人ハープ奏者達はウェールズのハープの音色を自分たちの楽器と比べて、ミツバチがうなる音を意味する teilin と揶揄した。これがウェールズ語でハープを意味する「テリン telyn」の語源になったと考えられている。ウェールズのハープには馬の尻尾から作られた弦が用いられており、当時ケランらが演奏していたアイリッシュ・ハープはそれとは対照的な音色だったと考えられる。そして、その形態は聖マドックのハープと同様と考えて差し支えないだろう。
ウェールズの伝説によると、1098年にマンスター王ミュルヒャタハ・ウァ・ブリーン[2]の命により、アイルランドのグレンダーロッホ修道院で「24のメジャー」が制定されたといわれる。メジャーは0と1の2種類の記号の組み合わせであり、17世紀以前のウェールズのハープ音楽における重要な音楽理論と考えられていた。ウェールズの古いハープの調弦法に「アイルランドの奇妙な調弦 kower gwyddelig dierth」と「アイルランドの悲しい調弦 y lleddf gower gwyddyl」というものがあり、アイリッシュ・ハープからの影響を留めていた。