14世紀から16世紀のウェールズのハープ
一方で、14世紀から16世紀頃のウェールズでは、アイルランドやスコットランドハイランド地方とは全く異なるハープが演奏されていた。
ウェールズの詩人ダヴィズ・アプ・グウィリム[1]は、アイルランドやイングランドのハープを非難していた。彼の詩から14世紀のウェールズのハープは、アイルランドのハープのように「支柱が曲がっておらず、まっすぐ」であり、イングランドのハープのように「ガット弦」ではなく、「馬の尻尾の弦」が用いられていた。また、ウェールズのハープは10本の指、つまり小指も使われていたことがグウィリムの詩からわかる。
さらに他の詩人イオロ・ゴッホ[2]やダヴィズ・アプ・エドムゥンド[3]の作品から、「皮のハープ telyn ledr」という楽器が演奏されていたことがわかる。1542年頃の詠み人知らずの詩にも、「雌馬の皮が張られ」「馬のたてがみの弦が張られて」「マルハナバチが飛び回るようなノイズ」を発生するハープが演奏されていたことが描写されている。この「皮のハープ」は実例が残されていないため、具体的にどのような楽器だったのか不明である。18世紀のウェールズの盲目のハープ奏者ウィリアム・ウィリアムス[4]が子どもの頃、皮のハープを演奏したことがあるという。その「共鳴胴は中がくりぬかれており、そこに牛の皮が張られ、後ろで縫いつけてあった。ペグは骨か象牙でできていた」という。
16世紀には金属弦アイリッシュ・ハープが流入していた。