ジェームズ・トールボット

1690年から1700年頃、ケンブリッジ大学のヘブライ語教授ジェームズ・トールボットJames Talbot ( 1665 – 1708 ) が、当時のハープについて詳しく述べている。そこには、トリプルハープ、ウェルシュ・ハープ、アイリッシュ・ハープ、スパニッシュ・ハープ、ジャーマン・ハープについて挙げられている。

彼は2種類のアイリッシュ・ハープについて記述している。

17世紀末の2種類のアイリッシュ・ハープに関する記述を残している。そのハープは43弦(あるいは36、40弦)の1列のハープで真鍮弦が張られている。現代のペダル・ハープが47弦なので、当時からかなり音域の広いハープが演奏されていたことがわかる。共鳴胴の大きさは3フィート6インチ(約106.68 cm)だった。共鳴胴は1本の柳をくりぬいたもので、背面の板と支柱、ネックはオークで作られていた[1]。高音から21番目と22番目の弦はユニゾンで調弦され「ウルフ Wolf」と呼ばれていた。トールボットによると、36弦のハープの場合、最高音はgggで最低音はΓΓになり、5オクターヴとウルフの2つの弦(Cの音)に調弦されると記している[2]

トールボットがウルフと呼んでいる弦は、アイルランド語では “na comhluighe, Caomhluighe” と呼ばれていた。バンティングはこの語を “Lying together” と訳し、当時のハープ奏者たちはこれを「姉妹 The Sisters」と呼んでおり、ユニゾンで調弦される2つの G3 の弦を指していた[3]。ピアースの調査によると、12世紀以降に書かれた手稿譜にこの語が小型のハープを指す “céis” との関連で現れ、ハープの低音弦を指す用語として用いられていたという[4]

トールボットの記述を元に36弦のアイリッシュ・ハープの音域を再構成すると、最高音がgではなくfの音になってしまう(譜例3)。だが、これはトールボットの誤記ではない。なぜなら18世紀のアイリッシュ・ハープの調弦法では低音域のF2の音は存在しなかったからである。これに関してバンティングが実例を出して説明している。F2の下のE2の弦は「落ちた弦 Tead leaguidh」と呼ばれており、必要に応じて半音上げてF♮2に調弦されることもあったという[5]


[1] イングランドで作られていたアイリッシュ・ハープは共鳴胴、支柱、ネックはウォールナットで作られ、背面の板だけがオークで作られていた。

[2] [Rimmer, 1963] 65-66

[3] [Bunting E. , 1840 / R2002 ] 21脚注。Called by the harpers “The Sisters,” were two strings in unison, which were the first tuned to the proper pitch ; they answered to tenor G, fourth string on the violin, and nearly divided the instrument into bass and treble.  “na comhluighe” という語は現代アイルランド語辞書には見当たらない。 “Comhoiriúnaigh” という語は「調和する Compatible, harmonizing (do, with); matching」という意味として記されている。

[4] [Pierse, 1973] 63 An early example occurs in one of the glosses to Dallán Forgaill’s lament for St Columcolle (ob. 596) found in manuscripts of twelfth century and later. The gloss in question is concerned with a phrase involving the associated harp-word céis:

[5] これと類似した調弦の習慣は17世紀以前のウェールズのハープ音楽でも用いられていた。すなわち『ロバート・アプ・ヒュー手稿譜』の全ての音を調査した結果、E2の音が一度も現れないのである。この事実は、18世紀のアイリッシュ・ハープと17世紀以前のウェールズのハープとの親近性を示す証拠になっている。

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